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労災などで障害年金を受給している場合の示談の際の留意点は?

  • 更新日:2025.3.1
  • 投稿日:2025.3.1

Q:私は福岡県粕屋郡志免町にある運送会社に勤務していたトラック運転手です。荷物をトラックに搬送中に、別のトラック加害車両に左足を誤ってひかれてしまい、左足の粉砕骨折により壊疽拡大を防ぐために左足のショパール関節から先の部分を切断され、自賠責でも労災保険でも後遺障害等級7級1号に認定されました。自賠責からは一括で賠償金が労災保険と調整ののちに支給されましたが、労災保険からは一時金でなく障害年金のかたちで支給されることになりました。ようやくトラック加害車両が加入している損保会社との間で示談を締結することになったのですが、その際、障害年金が停止されないように注意すべきことはありますか?

A:注意すべきは小野運送事件(最高判1963/6/3判タ151号72頁)の説示です。
小野運送事件の事案の概要
 労働者Xは、自動車運転中に事故に巻き込まれ、重傷を負いました。事故の加害者は運転手Yとその勤務先が損害賠償責任を負いました。Xは、代理人弁護士Aを通じて、加害者らと示談を結び、損害賠償金として自賠責保険金2万円(当時の支給水準ですので現在とは異なります)に加えて慰謝料や治療費などを受け取ることに合意しました。その際、Xはその後の賠償請求権を一切放棄する旨を示談書に明記しました。この示談は、労災保険給付が行われる前の1957/10/21に成立しました。
 小野運送事件では、示談後にXは後遺障害に基づく労災年金を受け取ることができるかどうかが問題となりました。労災保険の給付を受けるためには、労働者が第三者から受け取るべき損害賠償金の範囲が重要であり、第三者に対して請求権を放棄した場合、政府は保険給付の義務を免れることができるかどうかが争われました。

小野運送事件における最高裁のくだした結論
 最高裁は、示談により損害賠償請求権を放棄してしまったら、労災保険給付を受ける権利が制限されるのもやむをえないと判断を下しました。具体的には、示談によって第三者の損害賠償責任を免除した場合、労災保険給付はその限度で支給されないとされました。この判断の背景には、労災保険の性質とその運用が深く関わっています。

労災保険給付の性質と第三者の損害賠償請求権との相関
 労働者が業務中に災害を被った場合、労災保険は労働者に治療費や休業損害などの補償を行います。労災保険の目的は、労働者が業務上の事故により受けた損害を補填し、その生活を保障することです。同時に、第三者が関与する事故の場合、もともと労働者は加害者に対して損害賠償を請求することができます。
 そこで、労災保険法第34条は、労災保険は、労働者が第三者から賠償を受けた場合、その限度で給付を免れると明記しています。つまり、労働者が第三者から賠償金を受け取ったとき、その賠償金に見合う労災保険の給付が重複して支給されないよう調整されるわけです。この労災保険法34条の背景には、労災保険が労働者の生活保障を目的とする一方、加害者からの損害賠償の代替で補償の一部を担うという考え方があります。

示談による損害賠償請求権の放棄
 最高裁は、私法自治の原則に基づき、被災労働者が第三者に対する損害賠償請求権の一部または全部を免除する自由が認められることを前提にしています。
 示談によって、労働者が加害者に対する損害賠償請求権を放棄した場合、それ以降は加害者に対する損害賠償請求権は消滅します。この場面で、労災保険が障害補償給付を行ったとしても、すでにもともとの加害者に対する損害賠償請求権が消失しているため、労災保険に請求権の代位が発生しないことになります。代位請求権とは、労災保険が給付を行った後にその範囲で加害者に損害賠償を求める権利のことですが、すでに示談によって加害者に対する請求権が放棄されているため、代位の余地がないからです。
 その帰結として、最高裁は、労災保険が補償を行う前に加害者との間で示談が成立し加害者に対する賠償請求権が消滅している場面では、政府はその範囲でそもそもの労災保険給付義務を免れるべきだと判断しました。このため、Xが示談で賠償請求権を放棄した時点で、政府はその範囲において保険給付を免れたとされ、Xに対する労災保険の支給は認められませんでした。

労働者が深く考えずに放棄してしまったことへの救済はないのか
 最高裁は、労働者が自らの自由かつ任意な意思で加害者に対する損害賠償請求権を放棄した以上は、その結果として労災保険の給付が受けられなくなるのもやむを得ないという結論をくだしました。
 そもそも、労災保険の目的が迅速かつ公正に労働者を保護することにあり、その使命が労働者にやすやすと与えられなくなる事態を招来せぬよう、労働者が不用意に示談を行った場合でも、労働者の真意に基づく放棄であるかどうかを厳格に認定することが必要であるとはこの最高裁でも言及されています。
 このため、示談が無効となるような特別な事情(合意の無効を招来するほどの錯誤や詐欺強迫など)があれば、その場合には示談の効力が否定される可能性もありますが、その特別な事情が認定してもらえることは実例ではまれで、実際に小野運送事件でも労働者と加害者との放棄の示談は有効との認定は覆りませんでした。

小野運送事件から導かれる、加害者との合意の際の留意点
 ということは、労災保険からの給付が確実視される案件では、労災保険からの給付を妨げないような条項を付して加害者と示談しなければならないことになります。
 具体的にどのような条項がそれにあたるかですが、加害者から受け取る損害賠償金が例えば障害補償給付にあたる部分を含むものであれば条項の体裁にかかわらず労災保険法34条による調整という関係で、労災保険から受給できなくなる事態は不可避ですし、他方、障害年金を変わらず受け続けるためには加害者から受け取る損害賠償金にはそれが含まれていないことを何らかの方法で明記しなければなりません。
 抽象的な表現はかように可能ですが、いざ個別の事案でどう記載するかとなると一般化することは簡単でなく、ぜひ労災保険も熟知した交通事故に強い弁護士に依頼して決着することが必要でしょう。弁護士菅藤浩三は何十年も交通事故に精通した仕事を従事しております、ぜひ重度の交通事故被害に遭われた被害者は弁護士菅藤浩三にご依頼ください。

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