エホバの証人の信者の輸血拒否は賠償額に影響する

 特定の宗教信者に関する事例をとりあげるのは非常にデリケートな問題であることは承知しています。ただ現実の交通事故でその宗教の信者が輸血措置を必要とする重篤な怪我の被害者となり、病院に担ぎ込まれることは普通に起きうる事態です。そして、その宗教の信者の家族が、確信的信条から、兵役拒否や輸血拒否を選択することは、たとえ命に係わる緊急事態であってもあり得る事態なのです。

 名古屋地判2016/12/21交民集49巻6号1531頁は、エホバの証人の信者である男性が交通事故で頭がい骨骨折・急性硬膜外血腫・胸椎椎体破裂骨折・肺挫傷の重傷で救急病院に搬送されたものの、被害者の親族が確信的信条から輸血を拒否したため、緊急血腫除去手術を施行できないまま、間もなく急性硬膜外血腫を直接死因として死亡したという交通事故が問題となりました。

 自賠責の事前認定では、担当医の《急性硬膜外血腫については緊急血腫除去手術をおこなえば除去可能な病態にあり、脳機能は確保できたと判断する》《とはいえ、同手術中や経過観察中に出血性ショック死した可能性も否定できない》《胸椎椎体破裂骨折並びに脊髄損傷などに起因する大量出血も存在するため》との医療回答を踏まえ、DIC播種性血管内凝固症候群を発症し死に至った可能性も高い》という回答を踏まえ、交通事故と被害者の死亡との間の因果関係の判断は困難であるとして自賠責保険金の50%減額が適用されました。

 さて、被害者の遺族からの死亡に対する損害賠償請求訴訟において、加害者側は、輸血拒否を理由とする応分の過失相殺の適用をなすべきと主張し、被害者の遺族は、無輸血治療の選択要請は社会において許容不可能な主張をしたものではないし、エホバの証人の信者としての選択は信教の自由の一環として最大限尊重されるべきであると反論しました。
 大前提として、最高判2000/2/19判タ1031号158頁を抑えておく必要があります。宗教の自由に基づく自己決定権が、一般の社会通念に左右されず、そもそも無視蹂躙されるものでなく、尊重されるべきことを明言した裁判例です。
患者が輸血を受けることを自己の宗教上の信念に反するとして輸血を伴う医療行為を拒否するとの明確な意思を有している場合、このような意思決定をする権利は人格権の一内容として尊重されなければならない。そして、意思決定する権利を奪ったときは、人格権を侵害したことになり、これにより当該患者が被った精神的苦痛に対応する慰謝料を賠償する責任を負う

 そのうえで、名古屋地裁では、担当医以外の3名の医師に対する医療照会の結果を踏まえ、被害者が輸血拒否せず通常どおり緊急血腫除去手術が行われていれば被害者は急性硬膜外血腫によって死亡しなかった可能性があり、輸血拒否の事実は被害者の死亡結果に対して因果的寄与を及ぼしているから、損害の衡平な分担から民法722条2項類推適用により、被害者に30%の過失相殺を講じると説示しました。
 過失相殺を講じる理由として、現代の医療水準を前提とすると、無輸血治療の選択は通常人がとるべき選択肢の一つとはいえず、かつ、信教の自由は最大限尊重すべきではあるけれども、信教の自由に基づく選択の帰結として生じた不利益の全てを加害者側に負担させることは、損害の衡平な分担の見地からして相当とは言えないと説示しました。

 なお、この名古屋地判は、亡くなった当時、日中は伝道活動に従事し早朝の新聞配達員で生計を立てていた年収160万円の29歳高卒の被害者の逸失利益を算定する際の基礎収入について、生涯を通じて新聞配達員の仕事を継続したか否かは明らかではないことから、生涯にわたり高卒の25~29歳の年齢別平均賃金(2013年当時の数値は338万0100円)を得られる蓋然性があったと認定しています。