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相手損保からの提示額の計算ミスとそれに乗じて結んだ和解契約の効力

  • 更新日:2024.7.17
  • 投稿日:2024.7.17

Q:私は福岡市南区に住んでおりパート勤務しています。バイクで退社途中に交差点で信号のない交差点でクルマに横からあてられ転倒し、骨折する怪我をしました。パートは6か月休みました。治療は労災を使ってパートを6か月休んだ分の賃金の8割に相当するお金を治療途中で労災から支払ってもらいました。

9か月治療し骨もくっついて痛みも残らなかったのでそこで治療を終了しました。相手損保からは私にも3割過失があるということで免責証書を織り込んだ金額提示書面が届いたのですが、その提示された同封の内訳明細の中味を見ますと、治療費の欄は「労災にて支払われていますので既払い額ふくめ算出しません」と書かれていました。さらに、その内訳明細の中味をみますと、私はパートを6カ月休んで休業補償給付を労災でもらっているのですが、その休業補償給付を織り込んだ休業損害は計上されているのに対し、労災でもらった休業補償給付の分は既払い額として記載されていませんでした。
 あいにく弁護士費用特約に加入していず弁護士を依頼すると費用倒れするリスクが低くないので、この提示された金額のとおりの免責証書にサインして和解しようと思っているのですが、何も問題ありませんよね?

A:損害額を計算する際、厳密には、労災から支給される給付額(療養補償給付や休業補償給付や障害補償給付)をも損害欄に記入して、損害全体から被害者の過失部分を差し引いて、その後に労災からの給付額(療養補償給付や休業補償給付や障害補償給付)を含めた既払い額を列挙して、この部分を控除して損害額を算定する必要があります。
 厳密にはそうなんですが、労災から支給される給付額のうち療養補償給付はいちいち病院か労基署に尋ねないと、相手損保にも被害者自身にもわからないので、損保会社は簡易な計算方法として、損害欄からも既払い額からも療養補償給付を算入しないことも珍しくありません。とはいえ、この簡易な計算方法自体は、過失相殺がある場面では厳密な計算方法に比べてむしろ被害者に有利な数字をもたらすことがあるので、相手損保がその簡易な計算方法で提示することに異論ないならば、その計算方法で決着すること自体は法的に問題ありません。

 ただ、お尋ねの件は休業損害を計上しておきながら、労災から支給された休業補償給付が既払い額の欄から遺漏しているというもので、これは明らかに既払い額の計算ミスということになります。つまり、相手損保は既払い額に計上すべき休業補償給付をうっかりミスして計上せずにその控除し損ねた分を誤って割高で提示してしまったことになります。

 仮に相手損保が既払い額として控除すべき休業補償給付を内訳明細の中で遺漏してしまったことに気づかず、誤って提示してきた免責証書にサインして返却しても、のちに相手損保がそのミスに気付いたときは免責証書とおりの支払を拒絶し、あるいは、いったんは支払っても過誤払であると本来は差し引かれるべき休業補償給付相当額を返金請求してくるリスクがありますので、なにも問題ないとはとても言えないのが実態です。

 実は(財)交通事故紛争処理センターで、被害者は弁護士無し、相手損保は弁護士をつけて示談あっせんをおこない、「既払い額のほか1480万円を支払う(※既払い額の金額明記なし)」という示談書をかわしたのち、その既払い額に自賠責保険から被害者請求で回収した224万円が入っていなかったため、相手損保が「この示談の金額は一部無効である。正しく支払義務ある金額は1256万円にとどまる」と主張し、示談書をかわしたにもかかわらず1256万円しか支払わず224万円の支払を拒絶してきた事案があります。その行動に対し被害者は示談不履行により示談契約を解除し本来の損害は1480万円をはるかに超えるはずと訴えを起こしました。

 一審神戸地判明石支部2004/5/28判時1869号75頁は、この示談書には既払い額の具体的な記載はないものの、被害者は最終的な示談金額1480万円は自賠責保険から被害者請求で回収した224万円を既払い額に組み込まずに算出したことを、被害者も認識していたはずで、相手損保が224万円の回収をもし認識していれば最終的な示談金額1480万円で合意に至ったはずがなく、この示談には要素の錯誤が存在し224万円の範囲で一部無効とすべきであり、他方、相手損保の弁護士に重過失があったとはいえないとして、相手損保は1256万円だけ支払えば済むし、被害者は1480万円を支払う和解書があっても、それ以上請求することはできないと説示しました。

 この説示に納得できない被害者は控訴し、控訴審大阪高判2005/4/28判時1907号57頁では、相手損保は示談書をかわした時点で自賠責保険から被害者請求で回収した224万円が存在することを知っていたと推認され、代理人にその点を連絡さえしていれば代理人が誤って1480万円を支払う示談をかわす錯誤に陥ることは容易に回避できたといえ、民法101条2項の類推適用により、相手損保の代理人が錯誤に陥ったとしてもそこには重過失があるので、相手損保からこの和解の無効を主張することはできないとしました。その上で、示談不履行による示談契約の解除は可能であるとして、被害者に対し1480万円をはるかに超える本来の損害賠償するよう命じました。

 控訴審で逆転したことが幸いだったとはいえ、被害者もまた自賠責保険から被害者請求で回収した224万円が組み込まれていないことは知っていたはずで、相手損保からの錯誤を理由とする和解の無効を封じれるかどうか、裁判所によって判断は異なってもおかしくありません。
 まして、免責証書の中に既払い額が明示されていたりすると、示談金額を決定する大事な要素の一つである既払い額が真実と異なることは簡単に注意すれば誰しも気づけたのではないか、そういう計算ミスがすぐに露見する状況で交わされた示談に拘束力を認めるべきではなく正しい金額の限度で請求を許容すべきだ、裏返せば既払い額を正しく反映させるべきであり本来の請求権よりも過剰に取得してしまった分はたとえ示談が成立していても返金させるべきだという帰結に至るリスクがあります。ですので、相手損保が明らかに計算ミスしていることに乗じて示談契約を成立させても、事後に示談契約を取り消されその分を返金するよう求められるリスクは否定できません。慎重に対応すべきです。

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